最終更新: asakaze_b_ltd 2018年08月25日(土) 19:09:23履歴
江戸急電鉄の歴史上、特急が多数登場し、その分特急が廃止されていった。中には計画中に廃案されたものもある。ここではそんな特急たちを紹介しよう。
特急がまだ通勤型で運行され、特急はこねもまだ登場していなかった1986年頃、新宿〜小田原市間を結ぶ特急として計画された。途中停車駅を町田市、厚木市、松田市として、現在の30000型電車と類似した車両で運行される予定だった。ラウンジカー、1人用個室シングル、2人用個室スーパーデュエット、4人用個室ハイパーカルテット、ビュッフェ、ファミリーカー、そして現在の特急にもつながる、エレガンスシート車両もつなげることになっていた。みやびの名に恥じぬ、最高級の華やかさを誇るはずだった。
「みやび」の名自体が鉄道業界では不吉となってしまったうえ、同時に製造されていた車両(のちの超特急スーパーはこね用10000型量産先行車)が、最新技術や試験的な装備を搭載させすぎた結果、1両30億円という製造費を叩き出し、もはや駄作と化していた。そのため、特急みやび計画を進めるわけにはいかなくなってしまったので、そのまま廃案となった。
秋葉原線がまだ渋谷までの部分開業で、渋谷線の名称だったころ、渋谷〜横須賀市間を結ぶ特急として計画された。20000型4、6、8両で運行される予定だった。「晴れ」という明るいイメージと、東京湾からの「潮風」を組み合わせた名前である。
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